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Archive for the ‘読書’ Category

【読書】福島第一原発事故を検証する 人災はどのようにしておきたか

2011/08/23 コメントは受け付けていません

「事故は「想定内」だった」本書、帯の言葉です。著者は別著「新版 原発のどこが危険か 世界の事故と福島原発 (朝日選書)」でも同様にディーゼル発電機の脆弱性について訴えていましたが、その訴えが届く事なくそれを原因とした原子炉事故が起きてしまいました。
 未だその収束は見えず、周辺住民の生活を奪い、その他、日本国民に与えた影響は枚挙にいとまがありません。
 そのような原発事故がどうして起きたのか、安全なはずの・・という思いがあると思います。
 本書の題名だけを読むと、そうした疑問にスパッと答えてくれる、3月11日午後2時46分から何があったのかが分かる、人災の責めを負うべきは誰で、或いはどんな組織で、次に起きないようにするにはどうしたら良いのかが分かる。そんな期待を抱いてしまいそうです。
 でも、それはムリですよね。まだ3か月程度経過時点での執筆、情報開示も中々されていない段階での検証。諦めます。
 しかし、この発生間もない時点での限られた情報での検証は決して無駄なものではなく、この時点で国民が原発について知っておくべき問題点がきちんと呈示されていると思います。
 大震災が起こるまでの準備、もっと言えば、国としての原子力政策の無数の問題点。発災後の東電、政府のトンデモな対応。それらすべてがこの大きな不幸の原因である事は揺るぎません。
 筆者が長年訴え続けている、原子力発電等に対する、技術論・安全論、技術評価。それらを素直に受止めれば原子力政策を以下にすべきは自明の事と思います。
 「新版 原発のどこが危険か 世界の事故と福島原発」を読んだ方には新味が薄い内容かもしれません。発災後3か月で発行されているだけにまとまりに欠け、新書で出してもらえれば・・という印象を持ちました。
 でも「今すぐ日本の原子力発電の問題点を知りたい!」という方にはお勧めの一冊です。

緊急解説! 福島第一原発事故と放射線 (NHK出版新書 353)

2011/08/19 コメントは受け付けていません

 NHKは今回の福島第一原発事故に対する報道では、他のテレビ局とは違う姿勢を感ずる事が出来ました。そうした、報道機関の姿勢を非常に良く理解する事の出来る1冊です。

 政府によって情報が制限される中で「何が起きたのか」「これからどうなるのか」「それは収束するのか」「放射線の影響は大丈夫なのか」などについて、NHKが、その解説委員と記者が過去の取材や経験から精一杯の報道に務めた事がよく分かります。

 現時点と将来の危険性について最低限の正しい理解がなければ正しく恐れる事が出来ません。原発時代に生きる者として、原発と放射線についてその知識を得る事の出来る良書と思います。

 また、「なぜ原子力発電なのか」についても的確に押えられており、今後の脱原発への方向性をここから見つける事が出来るように思う。
 なぜ、こんなエネルギー政策がまかり通ってきたのか、自分自身の問題として考えています。
 都合の悪いことは「発生しない」として設計し、訓練も充分にはしていないという。そんなことの繰返しで原子力発電所は動いています。それはまるで「負ける事を想定しないで戦争を始めた」太平洋戦争前の日本と同じではありませんか。

 あれだけ大きな失敗をしても誰も責任を取らない日本社会がそのまま温存されてしまったのでしょうか。現在の役所や大企業も同様なのでしょうか。残念です。

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新版 原発のどこが危険か 世界の事故と福島原発 (朝日選書)

2011/08/06 コメントは受け付けていません

技術的な記載も多く、むつかしく感ずる人も多いかもしれません。
でもそんな所は飛ばして読んで構わないと思います。なぜなら大事な事は私たちが原子力発電を技術的に理解して運用する事ではなく、原子力発電とはどういうものか、どんな危険性があって、どう対応すべきものなのか、だけ理解できれば良いのです。

 1995年に初版が刊行された本書は比較的技術的な評価が多く、毛嫌いする人も多いかもしれない。そんな風潮が原子力発電に対する甘い評価や中途半端なエネルギー政策に繋がってしまったのではないだろうか。

 20年近くも前に、原子力発電所の総電源喪失による制御不能の危険性をこれだけ的確に指摘されていたとは全く知らなかった。
 なんらかの手を打ち、非常事態に備えることは本書を読む限り十分にできたと思われます。それを行わなかった電力会社や政府の不作為は糾弾されて当然ですが、こうした指摘が存在することを知らずにいて、漫然と電気を使っていた私にも責任があると考えざるを得ません。

 本書は原発推進派、反原発推進派などというくくりではなく、歴史と事実を記載してあります。その評価やこれを読んで次にどんな行動を起こすべきなのかは読者次第なのです。

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科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

2011/07/28 コメントは受け付けていません

 う〜ん・・。なんか急いで書きすぎのような。新書の悪いところがでてしまったような一冊です。
 新書は良く言えば「今欲しい知識をその場で」「週刊誌よりも詳しく丁寧な解説」が信条なのですが、それが悪いほうにでると「今しか売れない」「内容が希薄」になるように私は感じます。
 本書もその背骨である「理系的な考え方の大切さ」はとても大切ですし、強く共感します。原子力発電や地震、津波の科学的な分析とデータをどう理解し、事故が生き延びる為に使うのか。そうした力は全ての人々に必要です。そうした力を育てる事のない現在の教育や社会の在り方に疑問を持つ一人です。
 それだけに、こうした大切なテーマで「震災後に慌てて出した感」があるのは残念です。
 一読して感じた事は「理系VS文系」という対立軸での著者の苦労話に終始している、ということです。私も理系から文系への落武者ですので、その違いがある程度分かるつもりですが、でもそれは個人差以上のものではないように思います。文系でも「著者が言うところの科学的」な考え方をする人は大勢いますし、理系でも逆の人もいるでしょう。
 読んでいて、砂を噛む感じがしたのは、その主張が、まるで血液型で性格分けをする女性たちの主張のように感じてしまった事です。

 ただ、「大きさ、広さを東京ドームに例えるな!」など随所に成程!と思えるところもあり、そうしたところを拾い読めば面白い一冊だと思います。

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「わたしの3・11 あの日から始まる今日」を読んで

2011/07/18 コメントは受け付けていません

「あの日、何をしていたか。そして今、何ができるか。」

 2001年3月11日午後2時46分、私は震源から500Km以上遠く離れた名古屋の職場、9階建てのビルの8階でいつものように事務仕事をしていた。窓のブラインドがカチャカチャ音と立て出した。どこからか風が流れきたのか、窓は開いていないはずなのに。おかしいなぁ・・と思っているとゆっくりと揺れ始めた。

 大きな揺れではなかったが、数十秒、いや数分間か、長い時間揺れているように感じた。これは!阪神淡路大震災の時もゆっくりと長時間揺れたから、遠くで大きな地震が発生したようだ。東京か?大急ぎでテレビをつける。東北、仙台沖のようだ。思わず「仙台沖のいつもの地震にしては少し大きかったぐらいかな。」と考えてしまった。これほど大きな被害が起きているとは思いもせず。

 それからはテレビ画面の津波をじっと見つめ、狼少年だろうと思っていた大津波警報がそれ以上のものである事を画面を通じてやっと感じ、がれきや油、船や住宅を含んだ黒い水の塊が、田んぼを這い、ビニールハウスを押倒し、逃げようと必死で走っている多くの車を一呑みしていくところをまるでCGや特撮を見ているような感触で声も出さずに見入っていた。

 テレビの画面を通じて、或いはtwitterを通じて被害の様子を知ることはできた。でもそれは生の感触ではない。本当であれば、現場に行って、被災者の声を聞き、空気の匂いをかいでこそ被災者のことや被害の大きさを知ることが出来るものだろう。そんなもどかしを感じていた。このところずっと。

 本書では被災地、東京その他の場所で、多くの人たちがあの瞬間をどのように迎えたのかが纏めてある。
 間違いなくあの瞬間に私と同じように迎えていた人たちがいる。彼らもあの瞬間から戸惑い、悩んでいる。同じように2011年3月11日を生きていた人たちが大勢いる。当り前の事だが、それをしっかりと意識していこう。同じときを刻んだ人たちとこの経験を伝えあい、必ずやって来る次のもっと大きな震災にきちんと対応できるようにするために。

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